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岐阜市市街地の「近未来グランドデザイン」を考えるシンポジウム

プレ誌面講座

第一部 プレゼンテーション Series1

第一部 プレゼンテーション Series2

第一部 プレゼンテーション Series3

第二部 パネルディスカッション                    文責 
岐阜商工会議所

(西村)
第2部は、第1部でプレゼンテーションを行なっていただきました4名の皆様、さらに岐阜市商店街振興組合連合会の古川理事長と岐阜柳ヶ瀬商店街振興組合連合会の林理事長に加わっていただき、「近未来グランドデザイン」を描く論点や提案をお伺いいたします。

(西村)
まず、「都市のデザインについて」議論していきたいと思います。今後の在り方を考える際に都市空間には交通・人の移動が重要な要素だと考えており、それを誰がどのようにして実行していくのかという「実現」への道へ議論が及べばいいのではないかと思います。
都市計画では、市役所の移転・跡地をどのように利用していくかについて、皆様の意見を聞きたいと思っております。
2003年に中心市街地活性化協議会が参画した総合計画は「暮らしを支えるインフラとして岐阜の持っている強さを発揮すれば、きっとにぎわいは戻るだろう」というような趣旨で作ったように思います。その後、中心市街地活性化協議計画では、にぎわいを戻す為には居住が必要ということで「マンション等建築をして、にぎわいを創出しよう」「居住者を増やそう」というキーワードとして行っておりました。そうすればいずれ10年ぐらい経つと商業も回復すると思い計画を立てておりました。
通行量も商店の売り上げも15年前のピークと比べると半減しております。今後半減して停滞したままでいいのかと、考えた時にそれを反転させる一つの起爆剤として名古屋の位置づけ、リニアの話もありました。東海環状の話もしましたが、広い広域的な目で、もう一度グランドデザインというものを考えるべきではないかと提案させて頂いたつもりです。
この点、先ほど加藤さんがリニアの話をなさいましたけども土地計画という点ではインター・道路という問題はもの凄い切り口だと思われるのでご意見があればお伺いしたいです。


(加藤)
名古屋はリニアの開業とともに東京とかなり一体的な機能連携が図られていく可能性があります。そうすると名古屋駅前はもう首都圏なのだと言うぐらいの目線でこの岐阜から名古屋を視る必要もあると思います。そもそも岐阜駅からは名古屋駅は目と鼻の先なので、とてもいい立地条件を持っているのですが岐阜駅前だけではこの立地条件を最大に生かし切れない気がします。そこで岐阜駅とこのメディアコスモスエリアまでを何とか一体化させるインフラアップが出来ないかと思います。
インフラアップと言っても新しく何かを造るというわけではありません。人口は全く減少していないのに市内の交通量が減少しているのは、西村先生のご示唆にあるように環状線が機能して通過交通を処理出来ているので市内の交通量に余裕が起きたのだと思います。然らば車の為のレーンを減少させて岐阜駅と中心市街地とを繋ぐ公共交通の為に大胆に道路空間を使った方がいいのではないかと感じるわけです。例えば、長良橋通りの車の通行を禁止し真ん中にバスレーンでBRT(バス高速輸送システム)が走り、その両脇を人が歩くという通りの使い方も選択肢としてあり得るのではないでしょうかということを申し上げました。人々が歩けてかつ循環できるBRTがあって、そのBRTは専用レーンで信号調整されていて非常にストレスフリーに走るというイメージです。
これまでは「生活文化都市」ということで、岐阜市が元来持つ素晴らしい居住環境を生かし、この地域に住み名古屋に勤めて所得を得るという暮らしのモデルが成り立っていたのだと思いますが、それに加えここにオフィス等を構えてこれから始まる名古屋の業務機能の新たな集積に対して取引先を求めるという、新しい名古屋との連携を描いていくべきではないかと思います。つまり、産業活動の拠点としての岐阜市を描いていくことが必要だと考えます。岐阜市の産業振興の再構築を図る上でポイントとなるのは2つで、東海環状道路のインターチェンジ周辺における産業機能誘導と、都心部における産業機能誘導の両面での振興策を是非打ち立てていただければと考える次第です。


(西村)
今の通過交通の話ですが、もともと繊維がやっていた時は、まさに卸問屋なので物を入れて人が来て出ていくという関係があります。先ほどから冒頭でお話ししたようにファッション産業連合会が70年代に中心になって路駐する空間、駐車場を要求して実現させる等々、荷捌き空間として準備されていた。先ほど紹介したように業者が1600〜1700という数字から9割の人が営業を辞めて物流量も激減し、そのための通過交通を捌くための道路空間・道路構造になっているわけです。あるいは環状線が金華山の下、鵜飼い大橋を抜けていなかったので、どうしても中を通っていたが、抜けてからは市内交通量というのは、多分これも半減しているのであろうという風に考えられます。
私は運転をするのですが乗っている感覚でも40万都市で市役所周辺道路の制限速度を50〜60、MT車で走るとサードで走るわけです。トップに切り替えるところに、通常40万ぐらいの都市でそれなりの公共的な空間はセカンドで走っている。セカンドの上限が大体40キロ前後ですのでバスの速さでだいたい止まらずに走れるような公共交通専用レーンとか、そういうものが準備されるレベルだと思いますが、なかなかそうなっていないことを考えて道路構造に利用の仕方も含めてもう一度、考え直してみるというイメージがあり「緑の基本計画」というものが作られております。
これも座長をしておりましたが金華橋通りに緑の並木を造ろうと岐阜市は緑が多いといわれるが、これは山の緑であって、地面の横の緑というものは少ない、或いは健康長寿の街だと言いながら、部屋はバリアフリーでも24時間閉じ込めるわけではないのでウオーキングしよう、というときに川のせせらぎの横に並木があったらいいね。と思ったら岐阜市は伏流水には蓋をしてあり、水辺空間の復活も市内には出来るのです。つまり、それを妨げている対抗しているのが道路としての利用なので利用されていない道路は、蓋を取り、木を植えるという風に考えてもいいのではないかと思います。
この点で、阪さん武蔵野かどこかの事例があるのではないですか?紹介したいとのことですのでお願いします。


(阪)
昨今、公共空間を利用したオープンカフェが見直されています。にぎわいを生み出すのにどこの場所が良いかというと、例えば今お話のありました金華橋通りです。道路幅員を小さくできて交通量を妨げないのであればその部分を緑化して、オープンカフェでまちのにぎわいを作ってはどうかと思います。
国土交通省のホームページの事例では、道路占有許可の特例が出ておりまして非常にこういった道路を今まではにぎわい創出の目的で使えなかったが、使えるような緩和策が出ております。
この写真は東京の中央線が高架化することによってJR東日本さんが高架下の使い道を新しく提案しているものです。高架下に移動式のコンテナのお店を造っております。岐阜なので楽市等に引っかけて道路にこういったオープンカフェを伴った小さいコンテナのようなものを、例えば先ほど第1部で大前さんが言われたまちづくりの中に取り込んでいったらどうでしょうか。
この写真は、そのお店の感じです。中にはデーサービスの部屋も造っておりまして、健康とオープンカフェをミックスしたまちをつくっていこうという試みだと思います。ちょっと紹介になりますが、こういった写真の方が、イメージしやすいと思い持ってきました。


(西村)
交通も含めた都市デザインを原点まで戻り考えてみたらどうかとお話しをしております。例えば都市デザインという点では交通手段もそうですが建築物の高さ、用途とか場合によっては、建築物の方向、道路に面しているのか90度なのか、看板が邪魔するのか道路に沿ってあるのか、ヨーロッパ等々に行かれると綺麗な街だと思われる形状をということを考える必要があるのではないか。
これからのことになると自転車とかウオーキングだとかの要素も入れて都市デザインを考える。都市デザインを考える際に道路は公共物や公共の施設が公共空間として、どう位置付けるかという議論と、もう一度柳ヶ瀬などの場合でいいますと所有者はプライベート、私的所有ですよね。私物の所で商店街としてのどういう公共的な空間として行なうかと組み合わせないといけない。だから前半の都市計画というところで地面を公共が持っている場合の都市計画や交通計画あるいは建物計画というデザインのところで出村さん専門だろうと思われるので一言ご意見をどうぞ。


(出村)
どういう場所を造っていきたいか、ということに掛かっていると思っておりまして、それをプライベートが持っているのか公が持っているのかということは後から整理すればいい話と思っております。
まず、大林組さんが話してくれたようにコンテンツの問題。先ほどから問題になっているのは自治の問題。道であれば金華橋通りの幅員が非常に広くまだ使える余裕があってということであれば道路の断面をどうやって使っていくかという考え方を今までの既成概念を一度外した方がいいと思います。車道があって歩道があって歩道があるという使い方である必要は全くないのです。車道があって大きな歩道があるでもいいのです。どこにそういう場を寄せていきたいかというデザインは出来ると思います。それを事を起こす方向に持っていきたい。
先ほど私がプレゼンしました空き家を改装するような動きのように出来るだけ多くの主体を中に巻き込みながら出来る技で作り上げていくような仕組みづくりが非常に大事ではないかと思っております。その中のプレーヤーとして当然土地を持っている人も入ってくるし公共の出来ることも見極められると思う。それは場に応じてそれぞれ細かく約束事を作っていかないといけないという全体で一度成功例を作れば全部に適用できるようなやり方ではないと思います。一つ一つ何か場づくりを出来るところからやるという、皆が出来なければ私がやります。という風にやればいいなと思っております。


(西村)
都市計画の議論はこれで一区切りといたしまして、都市計画という観点からも中心市街地のコンパクトシティ化の中での中心市街地を位置づけようとここ10年前ぐらいからの中心市街地活性化基本計画の重要な転換なのです。それまでは商業の活性化、それを推進する組織づくりにポイントがおかれていたが、10年前のまちづくり三法の改正の中で中心市街地活性化を位置づけられたので、都市計画と中心市街地という切り口の中で行っておりました。この10年間の間に行われている都市計画という点では、道路の話も出ておりましたが、開発事業ということで居住を増やそうと再開発の取り組みも行っておりました。このままの延長戦でいいのかということが今日冒頭で議論されたことです。
次の論点に移りたいと思いますが、いずれにしてもこの10年20年を見ていると20年前の古いまちづくり三法の以前のまちづくり活性化基本計画も三法以後の1期計画、現在の2期計画、この2期計画も終了しようとしています。この20年間に共通していることは何だろうと思っていると再開発ということもあったので行政主導になっているともう一つの大きな特徴の一つです。
ところが20年前を振り返ってみますと20年前の時の活性化協議計画は合わせてTMO、今日的な言い方をすればまちづくり会社というような推進機構を民間資金の官民連携の中で作り上げようというのがうたわれております。残念ながら現在、推進機構となっておりますのは商工会議所とかではなく「にぎわいまち公社」といいますが岐阜市の外郭的といいますか開発公社の流れをくむ組織がそれを担当しているという点では、いうなれば民というよりは行政組織といいますか行政の外郭組織といいますか、外郭組織が20年間を通じて推進をする役割を持っております。
そこで、民間活力や商店街の自己努力等を臨機応変に引き出すという点での取り組みが岐阜市のなかでは備わってこなかったということを会長に就任してから思っておりまして、何とかそこに一つの風穴を開けたいということで、ここに3年前から取り組んできております。それは政府の方でも2013年に、やっぱり10年とか15年とか行ってきましたので、本当に中心市街地活性化というかスキームでいいのかと政府の方でも総括をして反省をしております。2013年6月にでております。中心市街地の再活性化に向けてという産業構造審議会の報告書となっております。まちづくり会社を主体とする民間によるまちづくり会社それをバックアップする行政ということで、資本金でも1000万ぐらいで株式会社になりますが、一桁二桁とか違っていて1億とかあるいは2億・3億ぐらいの資本金を持ってという感じの試みをしようではないかという活動の紹介をされています。この点について、先ほど随分、出村さん、大前さんもそうですが民間まちづくり組織というか、まちづくり会社ということにしておきましょう。取り組みを行われている補充発言・追加発言があればやっていただければと思います。


(大前)
TMOの流れを汲むまちづくり会社ですが、全国的にみてもほとんどうまくいっていない事が多い。なぜうまくいかないかというと民間発動ではないからで行政が「こういう会社が有益だからつくりなさい」という指導の下、行政もお金出すから民間もお金を出してみたいな流れで、結局第3セクターで行政のような組織が出来てしまうということが、ありとあらゆるところで起こっていて、何が問題かというと結局自分で事業を起こしてその事業を通じて街を変えていくという流れを非常に作り辛いわけです。公共が基盤になるという以上はお金儲けしては駄目だよというお話になるわけです。行政からの委託事業を受けて街を良くしていく活動はやり方によっては当然良い成果を呼ぶ事もありますし、私自身こういった活動をする基盤を持ったのはにぎわいまち公社の方で活性化プロデューサーという仕事を3年やらせていただいて、例えば街で造るビルなどの実績はその立場でやらせていただいて今に続いているわけで、委託の事業の中で何も次につながらないかといえばそうでもなく、非常に持続する事業を起こしづらいというのがあります。これから新しい流れを起こしていくことで必要とされる事とは公共的視点を持った民間組織というか、非常に今現状として公共と民間の立場がはっきりと線引きされていると公共は公共、民間は民間、道路は行政のやることだから全部役所にやってもらわないと困るみたいな。ひとたび真打に入ればそこは民間のことだから行政が入ってもらっては困るみたいな、そういう厳格な線引きが物事を動かしづらくしていると思っていまして、新しい動きをしていく為には、民間側としては民間側の公益性というかパブリックマインドというものを持って新しい事業を取り組む、街を良くしていくというのが仕事になる。
公共はパブリック、民間はプライベートと線を引くとプライベートなセクションはパブリックになるわけではなくて、顧問という領域を作っていこうという動きが大事。行政は何をするかというと今非常に行政側の方とお話していてデリケートだと思うものは、公平性の原理というか機会の平等性というものを過剰になっているような気がしていて、その部分の枠を少し変えられないかなと思います。顧問という視点を持った民間がいるのであればそこを後押しする行政というのは公平性とかで叩かれる理由はないのではないかと思うわけです。そこで民間が起こした新しくて魅力的な取り組みを少し後ろから押してあげるというような、全面的に押しすぎるとおかしくなるので民間が発動したものを応援しているという関係が期待していることというか、そういうことを実現していきたいと思います。


(出村)
ほとんど大前さんがしゃべられたことですが、極端に言えば本来補助金は要らないのです。ちゃんと調整をする立場に行政がまわってくれさえすれば、行政はそれなりのちゃんと責任もあって信頼もある。その立場であって調整にまわる。お金は全部事業者が出す。とあれば公平性で叩かれる必要もないし、それで回せなければ事業はうまくいかない。という風に極端な立場も場合に寄ってはありかなと思います。


(大前)
たとえば今のお話で、道路を使おうという話になったときに民間の主体が道路占用許可・道路使用許可等の書類を沢山作って各行政官庁を回って手間暇かけて行うことが、意味が分からないと思うのです。ルールはルールなのですが役所内部での書類を役所側で上手にやっていただければいい。営利を貪ろうとしているのではなくて、これは街を元気にするという前提がある取り組みであると分かっているならば、規制している部分というのは、ハードルを下げて行政内部の横の行き来でうまくスムーズに回していくという事が起こってもいいのではないかと思います。


(西村)
古川さんに聞いてみましょう。日頃そういう事に苦しんでおられるので、それはその通りで公務員もそうですが、地方自治法を2000年に改正がなされていまして、簡単に言えば総合行政の視点でもって地方行政の行政マンは行動するべしという一文が入り、それにも関わらずこの数十年は90年代に行ってきた行政習慣の延長線上で前例通り処理をしているので言われたような問題があり、言い換えればワンストップサービスの仕組みで行政対応しなさいって事でしょ。我々にはマイナンバーでやっておいて行政ナンバー制度を作れというっていうところだよね。
ではそういうことで、苦労されている2人の理事長にご意見を伺います。


(古川)
今、大前さん・出村さんのお話をお聞きしまして、全くその通りなのです。私どもが所属しているのは神田町通りが主になっております。商店街は柳ヶ瀬の地域と2つに分かれておりましてややこしいのですが、私のところは神田町通りがメインになっております。岐阜駅前から市役所までがメインなのです。先ほどのお話ではないですが、何かのイベントをしようとすると、どうしても国道ですから県・市・それと警察の了解を得ないと何もイベントができない歩道上では狭くてできないという話なのです。それで、常にテントを用意してイベントをやろうとしても許可が得られずキャンセル料だけを払うという事があります。なにかいい方策はないかと最初にお話をした神田町通りの通行量が減っているのでBRTの連結バスだけ通行可にして後は一日ずつ止めてはどうかというお話もありましたので、そういう格好でイベントは計画しておりますが、それについても相当面倒な手続きが必要となっております。出来れば連合会がやりますというお話ならすんなりと通していただければ、もう少しにぎわいも出来るし一生懸命やった甲斐もあるという事になるのではないか。手続きの段階でもう疲れます。だからなかなか難しい状態が起きております。
先ほどのお話ではないのですが行政は一本ですから横の連携を取っていただいて一発ですっといけるような状態を作っていただけるとありがたいと思います。


(西村)
そういうことだと思います。柳商連の林さんには少し角度を変えて、もう1つ岐阜でまちづくり会社のような民間組織のお話を大林組さん等々も話されましたが、政府の方でもそういうもので頑張っているところの類型化しているところもあります。ただその時の政府の総括の仕方です。今後求められる機能というのは何ですかという話をまちづくり会社というのに必要な機能は2つあると思っております。
1つはデベロッパー機能だと、それは空き店舗や未利用施設。先ほど紹介があったように小区分をする、あるいは色々な取り組みを岐阜市でも始められているという事。
もう1つはプロデュース機能だという事で色々なイベント等々をバラバラにやっているものを再整理して行うという2つの機能を持つ必要がある。ということをまちづくり会社の役割・機能と総括されています。でも、岐阜を見ていると私はその上にさらに3つ目4つ目の機能を果たす必要があるのではないかと考えております。追加するべき1つの機能は不動産分野に踏み込んだ機能だと思っていまして私有権を公的に使うという事です。
青森の件をいうと「所有と経営の分離」みたいなもの経営学者バーリとミーンズの言葉を転用しておりますが所有オーナーの問題と利活用の点は一体を少し切り離して考える。従来はオーナーならオーナーに所有権があってその人のところに不動産業者がテナントを紹介してとなるが、通りによって食堂街通り・ファッション街通りにするとなると、店舗を移動してもらうというというような利用権の権利変換のような再開発組合の権利変換、ちょっと類似しているのですがそういうものに踏み込んだ。
先ほどちょっと阪さんの方で紹介があったのは、まちづくり会社が利用権を取得するという点では、お金が掛かるのではないかという話になります。お金が掛かるという時に先ほど言われたのが証券化スキームという話をされたので独自の資金調達の仕方とかも補助金でポンッというのではなくて、例えば証券化スキームのような問題も含めて自己調達資金の調達の仕方も少し踏み込んで考えていく必要があるのではないか、言いたいことは不動産信託といいますか、そういう分野の第三の機能や役割を果たす必要があるのではないか。
第4は、これはまちづくり会社にぜひやってもらいたいのですが、これは後程、柳商連にお聞きしたいと思っておりますが、20年前は繊維問屋もそうでした1600ある中で事業を継続するというのは500〜600の業者がそのようにいいました。スカイウイング37の時もファッションマートですか、そういうフロアが必要との事でフロアを準備しましたが、岐阜大学サテライトキャンパスに転用されています。
もともと繊維問屋の人達が戻ってきてそこでやるのだと言われた空間なのです。と考えると実は岐阜市は思っているよりも業者の後継者難。今までの家系相続によって後継者指名「長男だからやれ」というその類のもので商店街の商店が維持されている側面がある。まさに後継者難というか確保難という事だから、やりたいという事とそこでやりたいという人は、必ずしも親がやっていたわけではないという点では、後継者を確保するという役割機能も必要ではないか。単なるマッチングでは、まちづくり会社の社員として雇用してやってもらうような、そういうものも踏み込んで行う必要がある。
まちづくり会社は単なる建物のデベロッパー。小区分化してどうかといろんなイベント等々をプロデュース機能と3番目に柳ヶ瀬では「ごましお空地」だとか空き店舗だとか高齢者とかそういう問題があるので、不動産に踏み込んだ問題「ごましお空地」と呼ばれている点在してポケットパーク化していくという事なんですが、そういうものを一カ所に集約していくというか、その役割を持つ必要があるのではないか。
それから後継者の問題、3番目4番目の事がないと、それを1つの会社でやるのかは別ですが、例えば4つの別会社を創って協議会でやっていくという事もあるし、一つの会社を創って不動産部・後継者部等とし部長4名という組織を作ってもいいし、それは検討されればいいが、そういうことが必要なのではないかと思っておりますが、柳商連いかがですか…


(林)
今の話にあった1つ目のデベロッパー部門、2つ目がプロデュース部門、これは今行っている活動の延長線上にありまして、十分射程距離の範囲内にあるという実感はあります。これに基づいてまちづくり会社を新しく起こすという事は現時点では可能だと思います。
その次の3番目の不動産、4番目の後継者問題ですがこの順番から行くと不動産を抑えなくてはいけないのは凄く大切な問題ですが、どこから資本を調達するのかが難しい問題です。民間指導型のまちづくり会社で行うという事が大前提である訳で、そうなると有志の方の出資で会社を起ち上げる形を取らざるをえません。その範囲で出来る中で効果的に街を変えていくという事で、戦略というか戦い方を考えていかないといけないというのが今の実感なのですね。
後継者問題ですが、これは先ほどのデベロッパーの部分に戻ってそこでミックスして考えていけるのではないかと思います。先ほど大前さんの説明にもあったサンデービルヂングマーケットですが、マーケットを開拓し新規創業者を募っております。これは、お客さんと出店者を丸ごと輸入してしまおうと言う商店街の移民政策のようなものです。ですから後継者というか、お客さんも出店者も丸ごとよそから持ってきて街の住人になってもらおうという戦略の中で、後継者というか相続する後継者ではないですが、このお店はちゃんと腕もあって伝統もあっていいお店なのだけど後継者がいないというところに、新しくお店を起こすのではなく、それを継いでみたいという、持って行きかたを出来るように、これはなかなか難しいとは思うんですが人と人とのマッチングというか相性の問題が出てきますから、それには人材のストック、本当にたくさん持っていないとなかなか形には落とし込めないだろうなと思ってはおりますけれど、ただそれは今も言った形でまちづくり会社の中の機能の1つとして出来る事だと思います。だから西村先生のおっしゃるような中で一番難しいなと思うのが不動産を抑えるところです。具体的にどのように資金調達をしたらいいのかが一番のネックになっているというところでそこを何とか超えて行けるようにしたいなとそしたら本当に加速度的に街を変えていくような道筋も出来るかなというふうに思っております。


(西村)
PFIによる証券化スキームの先ほど事業化支出の話に何か他にいい知恵・経験があれば一言お話を頂ければと思います。


(阪)
詳しくはないですが、最近BIDというのが注目されていると思います。アメリカで起こった地域マネジメントで、資産所有者が拠出した財源で行うようです。大阪市でも制度化されると聞いております。そういった新しい取り組みを1つ模索するのも提案ではないでしょうか。


(西村)
ありがとうございます。先ほど大前さんがおっしゃっていた公共的視点を持った民間組織というか、これはヨーロッパ等々でいくと日本語で訳せば第3セクターというのでサードセクターと言われているもので担い手は、例えばNPOだったり、日本ではNPOでも住宅開発をしている公共というか大型デベロッパー的NPOというのがなかなかないので、そのなかで街を再生していくということもありますし、あるいはヨーロッパで言うとソーシャルコーポレーション日本語で訳すと社会的企業とでも訳すのですかね。協同組合的なそういう特徴を持ったものもあります。おそらくプライベートな利益追求の為だけのものでもなくて、空間なり通りを公共的に利活用する。公共的利活用をするということでもって集積効果等々に、というか出会いの場、交流の場というものに位置付けるという意味合いの話だと思います。その点では林さんが一言、言いたいという事ですので商店街組織の今後の在り方のようなもの、ちがいますか。


(林)
はい、そうですね。その辺もさきほどの事業に絡んでくるところでして、元来、商店街振興組合というのは共同販促を行うために作られた組織でして、組合組織である以上、原則平等の行政と同じようなパワーバランスで動いているのですね。行政同様意思決定が遅いし、今、話に出てきた私たちが向き合っている問題、遊休不動産とか特定の個人の資産に対して労力を集中することは出来ないんですね。組合員に平等に利益があるような事業を前提に組み立てなくてはいけない。だからまちづくり的な意味での商店街活動というのは近い将来を見越して人口が減っていく中で、この街のデザインをどうするの、どう組み替えるのかという事まで考えていかないといけない現実が目の前にあるのですが、どうも組合という組織はそれに対応できなくなっている。そういう意味においてまちづくり会社というのを創って、商店街振興組合とまちづくり会社両輪で回していかないと時代の変化のスピードに追いつかないという事が、今、目の前の問題であるのではないかと思います。そういう意味において、商店街振興組合プラスまちづくり会社という形でやっていければいいかなと今思っているところです。


(西村)
ついでに一言。先ほど古川さんが2つの商店街組織というのがあって市商連・柳商連というのがあってややこしいと。これについて、私は違和感を覚えました。20年前に来た時に。なぜ1つではないのかと。言い方を変えれば、色々な政治的なこともあるのでしょうが、ある人の言葉を借りれば「『あんぱん』でいえばあんの部分が柳商連で、いいところ取りをして」というような言い方もする人もいます。だからむしろ、それぞれの商店街連合組合が力を無くしつつあるのだから、この際結婚するというのはどうですか?そして結婚して柳ヶ瀬委員会ぐらいに再生編成するというのは、検討する意思はないですか?


(古川)
私どもの商店街は商店街連盟からスタートいたしまして来年で70年になります。そろそろ時代も変わり人も変わり「昔はどうだった」という話をするのも、一昔というより大昔の話になります。
もうそろそろ2つが一緒になって商店街が活性化するように行うことが本当だと思います。今すぐに連合会の集合というのは難しい事でして、如何にして出来るのかとの検討会も行ってもいい時期だとは思っております。その辺も検討していただきたいと思います。


(林)
柳商連が市商連から分裂したのが来年で40年になります。その時、私は小学校5年生でランドセルを背負って明徳小学校に通っておりました。小学校5年生でランドセルを背負っていた当時の事を、私にとやかく言われても私には何とも答えようがないというのが、色々な事を言う方に対しての私の答えです。
市商連と柳商連の仲が悪いとか昔はこういうことがあったという世代ではないのです。言い方が失礼になりますが、外野のノイズの様なものは、私は気にしない世代になっておりますので、人口減っていく時代の流れに乗ってそういう事は将来的に十分あり得るだろうなと思います。


(西村)
とにかく事業組織で、例えば柳商連の枠内だけが元気になるとか市商連の神田町通りだけ元気になるとかはあり得ないわけで、やっぱり組織を一体化するかは別にして少なくとも行動事業という点では連携して行っていき、そのうち恋愛関係が始まり結婚に至るという事も見えてくるかもしれませんね。
そういう感じでこの先、中心市街地活性化委員会でやっていきたいし、まちづくり会社というものが必要だとなれば、両方の商店街の共同出資や共同設立者というか発起人に名前を挙げつつ一緒に行動するなかで結婚していただくという事も有り得るのではないかと。そしたら中心市街地活性化協議会の会長として一つの一大事業をやり終えて終了する事ができる。できたらこの数年の間にやってみたいなという感じです。
だから最後に約束をしました。都市デザインという論点に戻したいと思います。この冊子にも書いておきましたが、このメディアコスモスが完成いたしました。それは病院の跡地があったからです。今度は市役所の移転が昨年12月に議会で決まりました。当然順番からいくと建設計画・実施計画というものも進んでいくでしょう。その後の市役所跡地問題というものも出てきます。出てきますけどそれに対してのパブリックコメントもあります。そのものについて是非するつもりはなく、商店街・交通とかそうなれば大きな変化をもたらします。まちの姿についても大きな変化をもたらすだろう。それが有識者が狭い範囲で議論するのではなく、市民全員参加とまではいかなくても臨機応変に皆さんの声も戦わせる。あるいは自分の思い出もないものが実現するかもしれないけども、納得をするプロセスが必要ではないか。商店についても同じで柳商連からいっても市役所の職員が遠くなるわけでそうなると来客するのかと言うけれど日々の柳商連の範囲の中で昼食の時に何人の職員がそこで食べているのかと精神論で離れていくだけなのか実体として離れていくのか既客層として離れていくのか、中身に踏み込んだ議論をする必要があるのでないのかと思います。
例えば、本庁舎・南庁舎・西別館・明徳庁舎と4カ所ありますから、跡地の面積を視ると15,000平方キロメートルあります。言うなれば街の真ん中に大規模空地が点在してというか隣接してというか、そういう状況が発生します。そこに市民文化会館を再移転させてとなると岐阜市は県の文化施設もありますよね。5キロ同心円の円を描くと日本で一番文化施設が集積しているのです。例えば県の文化施設があって、そしてその横に市の施設がとなると、どう見ても二重なので、ここは県がやって貰えたら違うものは市がやるとかの役割分担なり組み合わせをしないと、市役所施設での内部の玉突きみたいな議論だけで本当にいいのかと思っております。そういう点で海外などへ行っても思いますが、先ほど言われていたパブリックという事ではなくて「コモン」という概念がありまして「コモンパーク」があります。シンボル的な概念で商工月報に書いておきましたが、教会前広場だとか石畳の広場とかの市民広場がある訳です。公園ではないですよ。そこでは公園法が掛かってないので飲食が出来たり、花火も出来たり、水も火も使えると。あるいはイベントも出来る。祭りも出来る。でも都市公園が入ってしまうと、そこでバーベキューはしたら駄目とかという話になる訳ですよ。でもよく考えてみれば楽市というのはフリーにしたという事でしょう。規制緩和という事ではないですか。楽座というのは色々な特権から解き放つという自由な取引しなさいという事だから言うなればコモン広場とかいうものとして利用すると東海・東南海地震の事を考えたら公園法があったらそこに簡単にプレハブなんて建てられないのです。制御を取っ払わないと、神戸がそうでしょう。一時避難所は造るけれども建物なんて建てられないでしょう。炊事場なんて一時的に認めたが本来は火を使うのは駄目です。例えばそれが広場であれば、次の日からその場所でバーベキューや炊飯が出来るのです。みたいな事も含めて公的な空間設計には、市役所庁舎跡地とかは、商店街等々と議論されてもいいのではないかと思います。少なくとも拙速には議論を出さないと、というぐらいの今市役所の方がいらっしゃるので「お前何言っているんだ」と思われそうですが、そのぐらいの事は必要ではないかと思います。
この点について、最後にパネラーの人、商店街の人等々から提案があれば一言順次お願いしたいです。これで今日の締めくくりにしたいと思います。
ではプレゼンテーションの順番でいきます。


(加藤)
貴重な中心市街地に市役所の跡地が出来るという事について、こう使ったらいいという妙案を今持ち合わせているわけではありませんが、今日私が申し上げたかった事は、岐阜市の姿勢を拝見しておりまして、産業を育てるというコアな柱となる政策がみえにくいので、是非産業を育てるという視点で独自の政策を打ち立てて行っていただきたいと言うことです。その際、中心市街地に育つべき都市型の産業振興と、インターチェンジ周辺を活用した産業誘致を掲げ、少なくともこの2つのチャンスを生かすべきではないかと申し上げてきた訳です。その中心市街地の中に市役所の跡地が生まれるという事であれば、ぜひ西村先生がおっしゃった用途も含めて地域の人と議論していただきたいのですが、都市型産業を育てる為にこういう空間が欲しい、機能が欲しいという潜んでいるニーズを必ずチェックしていただき、都市型産業の担い手の声を聴きながら検討していていただきたいと思います。その先に市役所の跡地にふさわしい機能が見えてくる可能性があると思います。
最後に、今後の岐阜市の都市経営という観点で申し上げさせていただきたいと思います。これまでの行財政改革では税収が制約的であることからコストを抑えるという事が重点だったと思いますが、この構図は民間からすると「減収しても増益を目指す経営」なんですね。つまり「売り上げは落ちました、だけど人件費や物件費などのコストをカットして何とか利益を確保いたしましたので、株主様褒めてください」という経営を「減収増益」といいますが、こういう時は従業員は全く元気が出ません。岐阜市の職員も市民も同じではないかと思います。我々民間人は減収増益型の時代を何度も経験してきました。つい最近はリーマンショックでとても苦しい経験をしました。重苦しい空気の中で歯を食いしばって知恵を出し、体を動かして増収に転ずる努力をしてきています。効果が出てくると元気が出てきます。だからぜひ市の経営を考える立場にある方、そこにお仕えになる方々は、減収だけを前提としないで増収を念頭に置いた経営戦略を検討していただきたいと思います。敢えて申せば、必ずしもこの地域は人口が減少するとは限らないと思っています。日本人の総人口は減少しますが、岐阜市は他から引っ張ってくることができる条件を持っているからです。さらに重要な事は、市の増収に向けては民間の投資を促し、民間所有の償却資産を増やさせることをしないと増収に繋がりません。
従ってこれからは民間の投資を促す観点に立ち、償却資産を増やす意思があるのに困っている民間企業に手を差し伸べ、ほったらかしにしないという観点で取り組んでいただけると大変ありがたいと思います。例えば本日の議論の中にありました「ごましお空地」を調整する仕事とか、起業するために困っている人にワンストップで調整する機能を設置するとか、更にはそうした論議の中で見つかる規制緩和策の断行などです。中心市街地で何かをしようとしている担い手の方々が困っている障壁があれば、それを取り除く工夫をしていただくことによって投資をしやすい環境を作っていただき、結果的に都心における償却資産を増やすという循環を意識していただけるとありがたいと思います。


(出村)
話題は市役所跡地の話でしたね。折角あの場所が空くという事では、私は具体的に提案するのであれば、やっぱり広場かなと思っております。広場の何がいいかと先ほど西村先生が仰っておりましたが、色々な活動が促されるに加えて、そもそも都市は広場ありきなのです。古代からずっとそうです。昔々もっとも古いと思われるチャタル・ヒュユク遺跡がありますが、その遺物から出てくる物は広域の産物が集中している。交易が一番初めにあって集落が出来ているという場所がどこであったかというと、西洋では伝統的に真ん中に広場があってそこで取引をしているという事があります。日本でもそうなのかと考えると例えば縄文時代の遺跡で残っている三内丸山遺跡を見に行くと謎の空間があります。発掘後再現した建物がどうみても倉庫なのです。それがある一つの広がりを取り巻いている。その形がどうだったか分かりませんが、私にはそれが広場に見えて仕方がない。同じ構成をしているものが、今度は弥生時代の遺跡に有ります。吉野ヶ里遺跡に行くとそこはもう市場であるという定義されていて、そこは空間を取り囲んでいる倉庫群が真ん中にあるという中からずっと来たと。その内それは広がりを持った場所として捉えないかもしれません。ある広めの道の中で行うというとか京都で言えば王寺は幅員が広くて、ほとんど交通なんて持たなかった訳です。だけど幅員の中で商売を行っていたと、そういう事を考えていると道の使い方もそうであるし、新しく出来てしまうという跡地の話でもそれは街の中に、そういった場所を取り戻すチャンスではないかと考えています。加藤先生のお話を聞くと名古屋にどう乗っかるかという気持ちになってしまいますが、どちらかというと岐阜の内部で沸き起こる動きをどうやって作っていくかというところに掛かっていると思いますので、そういう意味で押し寄せる波としての名古屋の影響力、これは利用は出来るがそこに絶対に頼らないという強い意志を持つべきかと思いました。


(阪)
私は設計者なので、街をフィールドワークして感じたことがあります。今、日本にも広場があったというお話がありましたが、ある説によると日本には広場が無くて、火除け地として、広小路という場所が江戸時代に有り、そこに茶店が出て日本的なにぎわいがあったと言われています。先ほど道路にお店を出したらとお話が有りましたが、こういった広小路の文化を広げる様な事を考えたらどうかと思います。また、街を歩いていて非常に都市交通に押されてしまって歩くのに疲弊してしまいます。シェアドスペースというか歩車道を分離して人が歩きやすい空間を造っていただきたいと思っております。
またコモンスペースとして岐阜市役所の跡地利用とありましたが、私はもっと小さいコモンスペースを幾つか造っていって人々が日常の中で使い易い空間を造っていただきたいと思います。写真を用意いたしました。これは武蔵境駅前の何でもない芝生だけの空間なのですが、これが非常に気持ちいいのです。街を歩いていて岐阜駅から1キロ〜1.5キロぐらいにちょうど金公園がございます。ここに良いスペースの候補地が有るじゃないかと思いました。あそこは遊具があって昔ながらの公園ですが、ぜひお金をかけずに変えていただければと思います。この写真は子供が作成したチラシになりますが、芝生広場で祭りを行うなど、イベント空間として人々のアクティビティを高めています。このようなアノニマス(匿名の)というか何でもない空間を造っていただいて、市民の人達が誇りを持って「この広場は、私達が創っている」と言っていただけるようなコモンスペースを造っていただくことが、私は設計者として一番いいかなと感じております。


(大前)
皆さんの発言と被るところがあるかと思いますが、市役所の跡地をどうするかを考えた時に都市経営の視点で考えないといけないと思います。行政の持っている施設がこれから重荷になっていくという事が視えている状況の中で単純に維持費がどんどん掛かる施設を造るという事は無いと思いますが、どうやって維持費が掛からない施設を造ろうかとの視点で議論される事はあると思います。そこをもう一歩踏み込んで、どうやってお金を稼ぐ公共施設を造るかという視点が欠かせないのではないかと思います。先ほど加藤先生のお話にもありましたが、増収増益になる視点です。やり方は色々あると思いますが、例えば一時的に防災広場のようにして利用料で自立できる運営をしていくとか、今ある建物を壊さずに防災施設にコンバージョンしていく事も面白いのではないかと思います。いずれにしても単にお金の掛かるものを造るのではなくて公共であってもお金を稼ぐ、それが街に再投資されていくという流れを作ることが大事なのではないかと思います。


(古川)
県庁が移転してから中心市街地の方が過疎化していった。また岐阜市の本庁舎が動けば人の寄りは悪くなっていくと思います。1日1万人ぐらい呼んでいる人が中心市街地から離れていくわけです。跡地が一番問題になると私も思っております。先ほど言われた様に文化施設を移転するとか考えるより、パブリック公園みたいな風にして、それを商店街に無料で貸してくれるとか、毎週土日には商店街のお店の出店が自由に出来るような物を造るとか色々な方法を活用していただければ人はそこに寄ってくるようになるのではないかと思います。そのくらいの希望しか今のところ言う事は無いかなと思っております。


(林)
跡地利用について広場や公園は、魅力的に映るアイデアでありますが、でも少し待てよと思うところもありまして、行政の方に安易に広場や公園と言うと、それ以上合理的な、建設的な事を何も考えなくて良いという言い訳を渡す事となってしまいそうで凄く怖いのです。役所には常にプレッシャーをかけ続けていきたいなと思います。広場機能もあって地震の時の避難出来るだけではなく、通常の時はもっと合理的な建設的な機能を持った施設を考えるべきで、空地をそのままにして地震の時の避難場所にするだけで労を終えてしまうのは駄目な事のように思います。もう少し一歩先の街を考えていけるようにしないといけないと思っております。


(西村)
広場といいましたが別に空間的広場ということなのですが、これを利活用という点では、広小路通りの利活用の話がされたり、門前町の道路等は骨董市を行い公共空間として活用されています。サンデービルヂングマーケットの話から月一でもイベントをするとか、これは市外からの人が中心ですが、古川さんのおっしゃわれた市商連は広いですから加納の人達も潤いだしたのだからそういう人達が市の真ん中で土曜市のような日曜市のような、まさに楽市そのものをする為の物理的な場所という点ではあるかもしれない。色々な視点で物事を考えながら議論をしていく事が必要なのではないかと思います。そういう事をこのシンポジウムでの議論が出来たとあるいは今後そういうことを出発点として市民の内部での合意を取ってそしてそれを交流すると言っても交流する人達の活動がなければいけないので、そういった活動を地道に住民組織とか商店街とかも含めて作っていく、あるいは空き店舗の話をしましたが、テナントの話もしました。でもようは柳ヶ瀬の話も後継者の話もしましたが、個人の食堂の後継者の話と長崎屋とかセンサーとか大規模施設オーナーというかそこでシャッター街化して20年・30年放置される。大規模施設所有者・オーナーのところの利用転換とか空地化してどうするかとの議論も合わせてやらないと一人一人の創業者、小規模なところを見捨てるつもりは勿論ありませんが、その単なる積み重ねではなく、岐阜市は90年代・80年代ずっと市内に大型店が出店してきているので、それがバーッと抜けていって10店舗たらずが抜けてしまっている状況なので、放置してある状況になっております。その議論と「ごましお空地」のようなポケットパーク化をどうするかとの議論を合わせ持って公共空間の創出というデザイナー的な仕事をする必要があるのではと思います。そういうものを推進する組織として民間組織というか、まちづくり会社という言葉を使っていきますが、まちづくり会社にも色々な種類がありますので、その適切な事業内容によって選択をする。何をするのかと何をすれば中心商店街がやっていけるのかと周辺商店街も含めて一緒にやっていけるんだと基本問題を議論する事が必要な時期にきているのではないか。そういう意味で近未来のグランドデザインとここに立ち返って議論する事が必要な時期に来ている。そこで合意を取れたら10年間走っていくみたいな。そのくらいの一区切りにしたい。その一区切りをつける組織を生み出すことが出来れば第二期の中心市街地活性化基本計画の終了は次を生み出す役割が出来る。第三期は無くてもその事業や組織に岐阜の未来を託したいとこの1年ぐらい議論をしていきたいというのが中心市街地活性化基本計画を管理運営している協議会の役割と考えている次第です。本日、私の不手際もあり時間が10分ほど伸びてしまいました。会場からの皆さんの意見を聞くという時間も取れなくなってしまい申し訳ありませんでした。大変不手際という事でお許し願いたい。
以上を持ちましてパネルディスカッションを終わらせていただきたいと思います。