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女性会

岐阜のお薦めスポット

Vol.1 長良橋下流の長良川に映る夕日



副会長 林 孝子

 大日岳の山頂で庄川・九頭竜川・長良川に分れた長良川は、166キロの行程を経て伊勢湾に注ぐ。 日本三大清流に数えられ、長良橋から上流1キロは全国に1カ所のみ河川で水浴場に選定されている。魚が泳ぎ、川底の小石も見ることが出来る清流である。

 近年は過保護教育?のため泳ぐ子どもたちも少ないが、私達が子供の頃は川の家もあり、子供同士で市電に乗りよく泳ぎに来たものである。

 深瀬では、ゆったりと浅瀬ではあわただしく流れゆく!!
金華山の影を写し、太陽の光はキラキラと眩(まぶ)しく、夕日は穏やかに長い彩を残す。
 さまざまな表情を見せながら流れゆく。
見あきることのない風景である。

 市内には藍川橋から始まり長良大橋までの12の橋が架かるが、橋を挟み上流と下流の表情はここまで違う?―とても不思議である。

 近年は水量も少なくなり、困る河川もあるなかで、豊富な水量である。鵜飼舟から眺める川面はまた趣がある。

 音楽でも表現された「交響詩 "長良川"(川のうた・火の宴)」
上流から下流まで見て音になった、喜多郎の「水に祈りて」

 美しい長良川を大切にしたい!!

Vol.2 中将姫誓願桜(岐阜市大洞)

会長 早川美智子

[→]願成寺 HPへ

岐阜のお薦めグルメ

川原町泉屋

岐阜市元浜町20 TEL:058-263-6788

岐阜県岐阜市不動町には濃姫遺髪塚がある。
この地に伝わる伝承によると、本能寺の変の際、信長の家臣の一人が濃姫の遺髪を携えて京から逃れて、この地に辿り着き埋葬したと伝わる。

[→]川原町泉屋サイトへ

鵜匠の家すぎ山

岐阜市長良73-1 TEL:058-231-0161

鵜飼でとれた鮎を味うことができます。
厳選された素材が、熟練の職人さんにより、姿、香り、味と三拍子揃ったお料理を頂くことができます。
ランチメニューでは、お手軽に本格的なお料理を味わうことができます。

[→]鵜匠の家すぎ山 HPへ


岐阜にまつわる女性たち

濃姫(のうひめ)

戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。
斎藤道三の娘で、織田信長の正室。名は江戸時代に成立した『美濃国諸旧記』などから帰蝶(きちょう)とされる。

岐阜県岐阜市不動町には濃姫遺髪塚がある。
この地に伝わる伝承によると、本能寺の変の際、信長の家臣の一人が濃姫の遺髪を携えて京から逃れて、この地に辿り着き埋葬したと伝わる。

中将姫(ちゅうじょうひめ)

(天平19年8月18日(747年9月30日)- 宝亀6年3月14日(775年4月22日))

奈良の当麻寺に伝わる当麻曼荼羅を織ったとされる、日本の伝説上の人物。

平安時代初期に中将姫が病気の治癒を岐阜県岐阜市大洞にある願成寺で祈り、平癒したために桜を植えたという伝承がある。
今でもこの桜に祈ると婦人病に霊験があるといわれている。
[→]中将姫誓願桜

和宮 親子内親王(かずのみや ちかこないしんのう)

(弘化3年閏5月10日(1846年7月3日) - 明治10年(1877年)9月2日)

仁孝天皇の第八皇女。孝明天皇の異母妹。江戸幕府第14代将軍徳川家茂の正室。

将軍徳川家茂との結婚のため江戸に向う途中加納宿本陣で宿泊された皇女和宮仮泊所跡には標柱と歌碑が建っています。
歌碑には「遠ざかる都としれば旅衣 一夜の宿も立ちうかりけり」と和宮の歌が刻まれています。

亀姫(かめひめ)

(永禄3年6月4日(1560年6月27日) - 寛永2年5月27日(1625年7月1日))

徳川家康の長女。三河の新城城主・奥平信昌の正室。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの戦勝により、慶長6年(1601年)夫・信昌が美濃加納藩10万石の藩主に任じられて、 三男・忠政共々、加納に移ったことから、加納御前・加納の方と呼ばれるようになった。

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  • 岐阜商工会議所 女性会事務局
  • 〒500-8727 岐阜県岐阜市神田町2-2
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