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女性会

岐阜にまつわる女性たち

濃姫(のうひめ)

戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。
斎藤道三の娘で、織田信長の正室。名は江戸時代に成立した『美濃国諸旧記』などから帰蝶(きちょう)とされる。

岐阜県岐阜市不動町には濃姫遺髪塚がある。
この地に伝わる伝承によると、本能寺の変の際、信長の家臣の一人が濃姫の遺髪を携えて京から逃れて、この地に辿り着き埋葬したと伝わる。

中将姫(ちゅうじょうひめ)

(天平19年8月18日(747年9月30日)- 宝亀6年3月14日(775年4月22日))

奈良の当麻寺に伝わる当麻曼荼羅を織ったとされる、日本の伝説上の人物。

平安時代初期に中将姫が病気の治癒を岐阜県岐阜市大洞にある願成寺で祈り、平癒したために桜を植えたという伝承がある。
今でもこの桜に祈ると婦人病に霊験があるといわれている。
[→]中将姫誓願桜

和宮 親子内親王(かずのみや ちかこないしんのう)

(弘化3年閏5月10日(1846年7月3日) - 明治10年(1877年)9月2日)

仁孝天皇の第八皇女。孝明天皇の異母妹。江戸幕府第14代将軍徳川家茂の正室。

将軍徳川家茂との結婚のため江戸に向う途中加納宿本陣で宿泊された皇女和宮仮泊所跡には標柱と歌碑が建っています。
歌碑には「遠ざかる都としれば旅衣 一夜の宿も立ちうかりけり」と和宮の歌が刻まれています。

亀姫(かめひめ)

(永禄3年6月4日(1560年6月27日) - 寛永2年5月27日(1625年7月1日))

徳川家康の長女。三河の新城城主・奥平信昌の正室。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの戦勝により、慶長6年(1601年)夫・信昌が美濃加納藩10万石の藩主に任じられて、 三男・忠政共々、加納に移ったことから、加納御前・加納の方と呼ばれるようになった。

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